イタリアでの研修報告

 

平成28年度ポーラ美術振興財団在外研修員として、2017年3月から2018年2月までの一年間、イタリアに滞在した。

研修テーマは、「ローマおよびイタリアの人体彫刻の歴史や背景の研究」という極めてオーソドックスなものであるが、人生経験的な意味合いも強く、異国での滞在を通して自身のテーマである「人間とは何か」について考え続けることを目的としている。

また、現地での発表を視野に入れた新作の制作を行う。

なぜ、ローマなのか。なぜ、イタリアなのか。その答えは研修を終えた現在、ようやく理解できる部分もある。

研修前期の半年間は主にローマを中心に美術館や教会、数多く残る遺跡群をみて回った。徒歩での移動を心がけ、自らの足でローマという街の本質を知りたいと思った。「体験」とは言葉通り「身体」が行うものだ。皮膚の感じる気温や湿度、鼻で感じる風の匂い、耳に入ってくる人々の話し声、足の裏は石畳の微妙な凸凹を感知して脳に信号を送る。その時々の体調も大いに関係してくるし、異国での生活による紅潮感や緊張感も普段とは異なる感性を刺激するだろう。

いくらバーチャルリアリティーが現実に近づいても、自らの身体を移動して「体験」することに勝るものはないと改めて感じた。

 

ヴァチカン博物館とサン・ピエトロ寺院

 

ボルゲーゼ美術館

 

 

研修後期はローマ以外の都市を訪れることでイタリアの多彩な魅力を感じようと試みた。まず9月にはナポリへ。

ローマとは異なるイタリア南部の独特の雰囲気を感じるとともに、世界遺産でもあるポンペイの遺跡などをみて回った。

 

10月にはフィレンツェやボローニャなどのイタリア中部に出掛け、ルネッサンスや中世を感じる美しい都市の魅力に触れた。

 

ボローニャ

 

11月にはビエンナーレ開催中のヴェネツィアへ。世界各国のパビリオンと、同時期に開催されていたダミアン・ハーストの大規模な個展や、ヤン・ファーブルの小規模ながら質の高い展示を鑑賞するとともに、初めて訪れた水の都の姿に深い感動を覚えた。

 

ヴェネツィア・ビエンナーレ

 

ダミアン・ハースト展 (ヴェネツィア)

 

ヤン・ファーブル展 (ヴェネツィア)

 

12月に訪れたミラノでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」や、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」を鑑賞した。

写真や図版で幾度となく目にしてきた名作だが、実際に訪れることでようやく理解できる部分もあり、とても貴重な経験となった。

また、Pirelli HangerBicoccaでのアンゼルム・キーファーのインスタレーションは、ドイツの歴史的背景や様々なコンセプトを内包するものだが、それらを何も知らずに観賞したとしても、その存在が全ての人類に訴える力を持つ圧巻の作品であると感じた。

 

Pirelli HangerBicocca

 

帰国を控えた2月には、研修期間の中で芽生えたエトルリアへの興味から、世界遺産でもあるタルクイニアへと出掛けた。

「ネクロポリ」と呼ばれる墓地遺跡群では、それぞれの墓の内部に当時の生活の様子などが多彩に描かれており、エトルリア人の暮らしぶりが目に浮かんでくるようだった。

 

 

研修テーマである 「ローマおよびイタリアの人体彫刻の歴史や背景の研究」 を目的に、年間を通して受入先であるヴェナンツォ・クロチェッティ美術館に足しげく通った。また、フィレンツェではクロチェッティと同時期に活躍したマリノ・マリーニの個人美術館を訪れ、イタリアの人体彫刻について、時代の異なる縦軸に同世代の横軸の視点を交えて考察しようと試みた。

 

ヴェナンツォ・クロチェッティ美術館(ローマ)

 

マリノ・マリーニ美術館(フィレンツェ)

 

 

滞在中の制作について

 

ある日、買い物をするスーパーやタバッキの前に立つ黒人が難民であることに気がついた。自国の内紛や近隣諸国の戦闘でヨーロッパに流入してくる難民のニュースは日本にいた頃から聞いていた筈なのに、実際の姿と重なるまで何故か時間がかかった。彼らは上等ではないが決して不潔な格好をしているわけではなく、見た目には皆20~30代の黒人男性だ。店を出てくる人たちに小銭はないかと声を掛けるが、冷たい言葉や視線を返されることが殆どで、そんな彼らの姿を見つめながら「人間」が「生きる」ということを改めて考えさせられた。私には彼らを肯定することも否定することもできないが、自分ではどうにもできない状況により自身の基盤(アイデンティティ)のようなものを失いかけている彼らに「人間」の普遍的な姿をみた。

その頃から難民をモチーフにした作品の制作を開始した。それは自身のテーマ「人間とは何か」へと繋がるものでもあった。

 

 

左:RITRATTO #1,#2             右:PROFILO #1,#2

 

 

硬さの異なる黒と白の2種類の蝋を素材に、難民をモチーフにしたレリーフを4点制作した。

彼らは今は片言のイタリア語や英語で話しているが、この先10年後、20年後には言葉巧みに話しかけてくるだろう。

その事実はまるで彼らがその国の一部になったような錯覚をもたらすが、言語の習得と自我の確立は全く別の次元の事柄であろう。

彼らが習得する言語を自我の受け皿のように捉え、それでも消えない彼らのルーツやアイデンティティを、浮き上がるドットのような、ボディペインティングのような、小さな小さな頭骨が黒い海に浮かんでいるような、そんなイメージで画面に配置した。

空を見上げるような最小の動作で、彼らの置かれている状況や感情を少しでも表現できればと思った。

 

Periodo Bianco #1

 

 

紙でできたカーニバル用のお面をベースに、蝋と現地で拾い集めた廃材の針金を用いて制作した。

自我の受け皿である口から下の部分から、一本の鉄線が糸のように上下に這うように縫い合わせていった。

将来的に蝋の部分を、ブロンズやガラスに鋳造する技法なども検討しながら制作した作品である。

 

Periodo Bianco #2

 

 

前作と同様に自我の受け皿として設定した口から下の分を動物のあご骨のように表現し、上部は顔がニット帽で覆い隠されたようなフォルムで動きをつけた。

手探りの制作を進める中で、新たな発見や感動を得ることができた作品であり、これ自体も鋳造の原型になり得る可能性を持っており、今後の展開も期待できると考えている。

 

RIFGIATO

 

 

作品タイトルはイタリア語で「難民」を意味する。

道端で拾った木片と、黒い蝋、針金を素材として制作した。

頭頂部からグルグル周りながら下りてくる針金のエッジが、木片に刺さるネジのような表現を生み出している。

外側の針金は像のシルエットを残すが、みればみるほど、その像は捉えどころのない首像となる。

前作までの縦の動きを横に展開した作品であり、蝋を白から黒に変えたことで、異なる魅力を引き出すことができた。

消え去りそうな、目では捉えきれない形態感が、私の難民に対する意識を表している。

 

 

現地での作品発表について考え始めた頃、娘を遊ばせに出掛けた公園で、全くの偶然であるが現代美術を扱うギャラリーオーナーに出会った。向こうも小さな子供たちを連れていて、奥様が日本人であることを知った妻が話をしていた。作品資料をみせるとぜひ実物をみたいと言ってもらえたので、数点を日本から郵送し、後日ギャラリーに持参した。小さな作品たちであったが、奥様を介して一点一点の制作方法や意図を丁寧に説明した。しかし彼の気持ちは作品をみた瞬間に固まっていたようだ。その日にギャラリーでの取り扱いが決まった。

FABER(ファーベル)、ラテン語で「手でものをつくりだす人」と名付けられたそのギャラリーは、決して広いスペースではないが、ローマ産の石が敷かれた床と白い壁面が心地の良い空間をつくり出している。「心のある作品を展示したい」と話すギャラリーオーナーは、技術に頼った秀作ではなく、作家の思いが込められた力作を置きたい、と考えているという。私も時代遅れかも知れないが、人間の手に残る記憶や潜在的な能力を強く信じており、下手でも稚拙でも自らの手で創作する行為を諦めてしまってはいけないと思っている。

また、人種や国籍が違っても、言葉が伝わらない状況でも、作品の存在がみる人の心に響くような制作をずっと心がけてきた。

世界中から人々の集まるローマでの展示が、その実践の場となるだろう。

 

 

galleria d'arte FABER

 

Opere Keisuke Matsuoka (Ph.Manuela Giusto)

 

 

「一年くらいの滞在じゃ何も分からないでしょう?」と、長く住む人は言うかも知れないが、私はそうは思わない。

一年というのは不思議な時間だ。それは一日や一分一秒のように必然性を帯びた単位であるからだ。長く暮らすことでしか分からないことがあるのと同じように、一年という単位での滞在でしか感じられないことがあると思う。時間は相対的なものなので、必ずしも長期間を過ごす必要はない。ただ、そこに存在するということが重要である。

海外に暮らすと改めて自分という人間は世界にたった一人しかいないのだと感じる。私が海外にいる時、日本に私はいない。私のシルエットがぽっかり抜け落ちた状態でも、日々は何事もなく回り続ける。海外に住む私は、完成したパズルの上にぺたっと貼られたシールみたいな存在だ。もし自分もパズルのピースになりたいならば、相応の時間がかかるだろう。どちらにせよ選択しなければならない。居場所を見つけなければならない。

 

正直に言うと、初めて海外で過ごしたアメリカの時ほど、この一年は感動したり興奮したりすることが出来なかった。それは国の違いもあるだろうし、年齢を重ね、娘が生まれたこともあるのだろう。何も変わらないと思っていたが、私は変わったのだ。そのことに気づけただけでもローマに来て良かったと思う。

日本に帰ったら高い天井が恋しくなるだろう。客に対してニコリともしない店員や乱雑な路上駐車、道に散乱する犬の糞も懐かしく思うだろう。私が長生きして死んだ後も、ローマはきっとずっと変わらず、ここにあり続けるだろう。そのことは私をとても安心させるし、幸せな気持ちになる。

この一年間の記憶や思い出は、シールのように私の心にぴたっと貼りつき、死ぬまで剥がれることはないだろう。

 

2018年2月 松岡 圭介